人生の夏休み
人生最後の夏休み
ちゃんと休んでいるかい大学(院)生。無為な時間はあっという間に過ぎるから注意しろ。
気付いたら学生生活が残り半年になりました。
セミファイナル
ここ最近3日に2回くらい玄関出た瞬間に「ジジジッッ!」って音が慌てて飛んでいく場面に遭う。同じくらい自分も驚く。
学生としての自分も既に終わりかけ,虫の息なのですよ。いやもっと盛大に終わりを迎えるのかもしれないが。一年を2学期で分けるなら今年度の前半が終わった今,リーチがかかっている状態,マッチポイントなのよ,勝つ側なのか負ける側なのか分からないが。
M2上半期
今更だけど,自分がM2であることがしっくりこないな。大学3,4年かせめてM1の気持ちです。今年修了するけどね。
今年度入ってからは,新歓して熱出して,GWには焼肉焼肉風呂風呂して,資格取って,韓国旅行して熱出して,Fujirock行ってこんにゃくに殺されていましたね。合間合間にライブと研究。中間発表も終わってた。運動の幅も広がりつつある(壁,テニス,バド?,みんなやろうぜ)。こういういつ何をやったか確認するのに手帳を使うんだけど,手帳だけ見てると結構楽しそうな人生送ってんなって感じた(今)。
少し先のことについて
自分は一つ二つ先のステージに憧れを持つ傾向がある(小中学生のときは高校生に,高校生のときは大学生に早くなりたいと思っていた)ので,社会人になることが結構楽しみである。だからか,今後のタメになる(はず)の資格の勉強などを好き好んでやっている気がする。
引っ越しとか諸々の手続きとかを考えるとまあ悩みも尽きませんけども,少しは他人を頼れる人になりたいと思っているよ。↓
最近の悩み
大きくまとめると自己完結癖である。他人への興味の無さ,人に頼ることのできなさ。側から見れば「ちゃんとしている人」なのかもしれないが,自分にはそうすることしかできないんだよ。結果的にパフォーマンスを見ると,協同できる人の方が立派である。
この癖はいくつか自分の根底にある思想のせいであると思う。
- 思想1 : 自分以外は他人である
- 思想2 : 他人は(あまり)信頼・信用できない
- 思想3 : 信頼・信用できない人に頼る = 貸しを作る
こう見ると割とひどい考えを持っていることがわかるが,嘘はついていない。
思想1より自分以外に関することはひとごとであると処理する。(当事者意識のnasa)
思想2, 3より人に頼ることができない。
この思想自体は変えることに莫大な時間と労力がかかるだろうから,無条件に信じることができる「神」が目の前に現れてくれる必要がある。そう考えてみると,宗教は結構合理的な生き方の一つであるように感じる。
それか信頼・信用を再定義するか。
誠実であれば信じるに足る人物であると思っている。ここで自分の中では誠実さが悪魔の証明で成り立っている。つまり,誠実さとは過失の無さで表されているのである。例え1回であったとしても,「ドタキャンする人」「約束を破る人」「時間にルーズな人」「浮気をする人」とラベリングしてしまい,それが剥がされる条件は相当な時間か,相当な好感的行動である。これにより厳しさが増している。
その結果n(ラベルの貼られてない人) << n(ラベルの貼られている人)となって苦しいのである。(<< : ストリーム挿入演算子ではない)
そんな自分の生きづらさを最近は噛み締めてるよ。
ジジジッッ!